幻都フェアリーテイル
応接間に通され、ドキドキしながら待っていると、数分もしないうちに、再びカウンターの女性が姿を現した。手にした盆の上には、大ぶりのマグカップと、クッキーがどっさりと盛られた皿が乗っていた。彼女は、ヒルデの前に湯気を立てているカップとクッキーの皿を置き、軽く一礼だけして、去って行った。無駄のないてきぱきした動作に見惚れるうちに、うっかり、礼を言うタイミングを逸してしまった。後ろめたいような気持ちで、ヒルデは閉じたドアを眺めた。目の前に置かれたカップからは、ココアの良い匂いが漂っていた。そう言えば、彼女に出会ってから、声を一度も聞いていない。ついこの間、ヒサキと一緒に来たときもそうだった。エンキの娘で、ヴィオレッタという名前らしい。紹介されたときも、彼女は、会釈をしただけで、結局一言も発することはなかった。
それから、すぐに、彼女が押す車椅子に乗って、エンキ翁が姿を見せた。
ヒルデは、立ち上がり、スカートの裾を軽く持ち上げて礼をした。老翁は、皺だらけの顔をほころばせ、座るように促す。エンキが席に着いたのを確認して、ヒルデも座った。オルヒディーエは、ソファの背もたれに止まらせた。
「よく来たのう、お嬢ちゃん」
お嬢ちゃん……などという呼ばれ方をするのは、少々心外ではあったが、この年格好からすると致し方ないのかもしれない。それに、この老人から柔らかい口調で、そう呼びかけられるのは、何だかくすぐったい感じがして、悪くなかった。
「ヒルデガルドと申します。この度は突然お邪魔致しまして……」
挨拶をしようとするヒルデを、エンキは穏やかな視線で遮った。
「この老いぼれに、固い挨拶は不要じゃ。こんちわ、じーさん、でよいわ」
「しかし……」
ヒサキのように、懇意の仲なら、むしろその方が自然だとは思う。でも、自分がするには、あまりにも不躾だ。
「クッキーは、嫌いか?ヴィオレッタが作ったのは、美味いぞ。わしも好きじゃったんじゃが、歯が無くなってしもうてのう」
エンキの言葉に合わせて、ヴィオレッタが、無言のまま、クッキーの皿をヒルデの方へ差し出した。この老人が無くしたのは、歯だけでない。病気で両手両足全部無くしてしまったのだそうだ。
「遠慮せずとも、お上がりなされ」
「はい……」
ヒルデは、一番手前のクッキーを取った。見た目は無骨だが、味はいい。主張を抑えた上品な甘みの生地に、チョコチップの甘さとナッツの歯ごたえが、良いアクセントになっている。クッキーを飲み込み、ココアで喉を潤すと、ここまで来る間の緊張は、きれいに消えてしまった。一生懸命に走って上がっていた息も落ち着いた。
本来の目的を除いても、ヒサキがこの店に通う理由が分かる気がした。
「皆、息災か?」
「私の知っている限りでは」
皆の範囲が何処までなのか、よく分からなかったが、思い付く限りでは、重篤な怪我や病気の者はいなかった。なので、それで良いのだろう。それほど、厳密に考える必要のない質問だと判断した。
「お嬢ちゃんが1人で来たということは、ヒサキと喧嘩でもしたのかな?」
「まさか、とんでもありません」
ヒルデは、飛び上がって否定した。畏れ多くも、彼と喧嘩なんかできるような身分ではない。
「ヒサキ様は、ファースフィアへ行かれました」
「ふむ、いかようあって、外( と) つ世界へ?」
「私には、分かりません。ロゴス様には、何かお考えがあるようなのですが」
「あの方は、いつでもそうじゃ」
ため息と一緒に、彼は呟いた。
エンキとロゴス局長は、古い友人同士だと聞いている。今は、手を引いているが、エンキも、かつては共に幻獣管理局の"復活"に携わり、ロゴスの右腕として活躍していたのだという。
「おお、わざわざ老いぼれのあばらやに足を運んでくださったのに、用件を聞いておらんかったな」
「これを見ていただきたいのです」
ヒルデは、縫いぐるみから出てきた石を、そっとテーブルの上に置いた。
「ほう」
エンキは、石の専門家だ。魔石、宝石、化石と、とにかく石とつくものに関しては、深く広い知識を持っている。元々は、魔石に魔法を刻む専門家なのだが、それが長じて、どんな石にも手を出すようになったらしい。
「おもしろそうな石を見つけたら、エンキ様の所へ持って行くように、とヒサキ様はおっしゃいました」
恐らく、ロゴスもこの石を探しているであろう事は、あえて、口にはしなかった。
言わなければ、嘘をつくことになる。それは分かっていたが、なぜか、そうしなければ、ならないような気がしていた。
エンキが、身を乗り出し、ヴィオレッタが石を拾い上げようとしたときだった。
ヒルデの後ろのソファの背もたれに止まっていたオルヒディーエが、バサリと翼を羽ばたかせた。何事かと思う間もなく、小さな竜は、ヒルデの頭を飛び越え、ヴィオレッタの手を遮るように、テーブルの上に着地した。
そんなことをしようとは、思っていない。
ヒルデの一部であるはずのオルヒディーエは、ヒルデの意志とは全く別の行動をしていた。暴走し始めた自分の分身を押さえようと、少女は、必死で手を伸ばした。しかし、ヒルデのことをあざ笑うかのように、竜はひらりと身をかわし、口を開けて威嚇する。今のオルヒディーエは、ヒルデの一部ではなくなっていた。彼女は、ヒルデを離れた全く別個の存在として、自律していた。
呆然とするヒルデの前で、竜は石に首を伸ばした。何をしようとしているか、繋がっていなくとも予想がついた。
「ダメ!やめて!!」
ヒルデの制止など完全に無意味だった。オルヒディーエは、小さな石をくわえ、ごくりと飲み込んでしまった。
泣きそうな気分で、ヒルデは、顔を上げた。
気が付くと、世界は、黒一色で覆われていた。悲鳴もあげられない。何がどうなっているのか、さっぱり分からない。混乱だけが渦巻く頭の中に、閃くような声がした。
「しばらく、借りるぞ」
知っている声だった。
「勝手なことしないで!」
叫んでみたけど、抗議など、聞くような存在ではない。それは分かっている。でも、無抵抗なままで、好き勝手されるのはたまらないではないか。
「お嬢ちゃん!」
エンキの声が聞こえた。
それと同時に、陽炎が立ち上るように、世界が戻ってきた。
「悪くはないな。随分とあまい作りではあるが」
大きく翼を広げ、自分の体を値踏みするかのように、彼女は言った。
「勝手に使っておいて、その言い草はないでしょう!」
思わず、声が荒くなる。はらわたが煮えくり返るというのは、こんな状態の事をいうのだろう。本当に、体の中がかっかして、思いっ切り、大声で怒鳴り上げたい気分だった。
「勝手に?オルヒディーエ号の許可は取った」
「なんですって?!私は、何も知りません!ロゴス様だって、ご存じないはず……」
「ああ……、あれにバレると面倒だからな……」
口ごもり気味に、彼女は言った。後ろめたいという気持ちは、多少なりともあるらしい。
「どうして、こんなむちゃくちゃなことをするんですか!皆さんが、どれだけあなたのことを心配なさっているか、分かっているのですか?!」
「なんで、私が、人間風情に心配なんかされなければならないんだ」
ふぅ……とヒルデは、ため息をついた。
どうして、ヒサキとソフィアとが仲がいいのか、分かったような気がした。要するに、思考構造が一緒なのだ。世界は、自分中心に回っている。
その前で、エンキが楽しそうに笑い始める。
「久しぶりじゃのう、エルティアーズ」
「そうでもない」
ソフィア・エルティアーズは、素っ気なく答えた。それよりも、皿の中の大きなチョコチップクッキーとの格闘に夢中になっている。
「イオスの所におるのは、偽体( レプリカ) というわけか」
「そう。そうでないと、強制契約なんかできるわけがないだろう。私、あの人、大嫌い」
ブツブツとぼやきながら、ソフィアは音を立てて、戦利品( クッキー) をかじり始めた。食べかすがぼろぼろと白いクロスにこぼれる。行儀が悪い……と思いながら、ヒルデは、それを手で集めた。あっという間に、自分の顔ほどもあるクッキーを食べ終え、皿に首を伸ばしている。ヴィオレッタが、少し冷めたココアを深皿に入れて持ってきた。クッキーを半ばで放り出し、今度はそれに首を突っ込む。行儀作法も何もあったものではない。竜の姿であっても、何だか情けなくなってくる。
「エンキ様は、ご存じだったのですか?」
「ああ、あの時に、ヒサキから聞いておった。お嬢ちゃんが来たら頼む……と」
そんなこと、全然知らなかった。
「だったら、どうして、お城であんなに暴れたりする必要はないじゃないですか?」
「おとなしくしていたら怪しまれる。私、そういうキャラじゃないもの」
確かに、それはそうだ。破壊活動をしないエルティアーズなど、脱走しないヒサキと同じ……、何だか、泣きたくなってきた。
「残したウロコはフェイク。今頃、ロゴスは必死で本物の私を捜し回っているはず」
楽しそうに、ドラゴンは言った。
その通りなのを知っていたが、ヒルデはあえて黙っていた。言えば、彼女をもっと喜ばせる結果になるのは目に見えていた。
「でも、ヒサキ様は、あなたを助けに行かなければ……と、おっしゃっていたのですよ?」
「レプリカの方を、だろう。あれは、とても不安定で脆弱な存在だ。早く回収してやらなければ、自我が崩壊して、本来のドラゴンになってしまう。そうなったら、ちょっとばかり厄介だ。私は、自分のレプリカと戦わなければならない羽目になる。自分と戦うというのは、気分の良いものではない」
もう、訳が分からない。世間の常識からだいぶ外れたところにいるつもりだったが、それでも、ついて行けない世界だった。完全に理解を超えた存在、もうそれでいい。今は、あれこれ思い悩むのは億劫だ。
「さて、これから、どうする気じゃ?」
にこにこしながら、見守っていたエンキが尋ねた。
「もちろん、レプリカを回収して、あいつをコテンパンにする」
「できそうか?」
「分からない。実は、イオスが何者で、どうして、あんなに私に拘るのか、全然分からない。嫌い……というよりも、本当は、怖いのかもしれない」
そんな弱気な発言は初めて聞いた。
ヒルデは、クリスティアで彼をちらりと見ただけだった。でも、ものすごく強いのは分かる。ヒサキが、魔法の軌道を曲げてくれなかったら、オルヒディーエごと撃ち落とされていたことだろう。
「私も一緒に行きます。オルヒディーエは私の一部です。勝手にされてたまるものですか」
「幻獣管理局へは?」
ヒルデの言葉に、意外にも、竜は驚いたように目を丸くした。
「帰りません」
こうなったら、意地だ。何もかも、ソフィアの思い通りにさせてなるものか。尻尾にしがみついてでも、ついて行ってやるつもりだった。
「いいだろう。ついてこい」
にやり、と竜が笑った。
チョコチップクッキーは、ソフィアの希望で、全部紙袋に入れて貰うことにした。肩や頭の上で、ぽりぽりとやられるのは嫌だなあと思ったが、ヒルデも味が気に入っていたので、反対は出来なかった。
いつの間にか、外は、すっかり暗くなっていた。エンキとヴィオレッタに礼をいい、ふとドアのガラスに映った自分の姿を見て、ヒルデはぎょっとした。緩く巻いていた金髪が、真っ直ぐの銀髪に変わっていた。指ですくい上げた髪は、ほんのりと青みが見えるほどに、薄い色だった。鏡を見れば、目の色も変わっているのだろう。恐らく、紫紺に。
自分は、何になってしまったのだろう?
「心配するな。私がいなくなれば、元に戻る」
不安を読み取ったかのように、肩の上の竜が言った。
背後で鳴るベルの音を聞きながら、少女は夜の道を走り出した。
←back
Farsphere
Farsphere FURUKI Sayu All rights reserved.