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interlude

 暦の上では秋になり、日差しにもほんのりと初秋の色が付き始めた。焼け付くような残暑は続いていたが、朝夕は涼しい風が吹く。
 夜の気配が残る清涼な空気の中、古色漂う廊下を走る少女の姿があった。純金を紡いだような綺麗な巻き毛が窓から差し込む光の中で跳ねる。少女は、白いスカートの裾を翻して、思い詰めた硬い表情で駆けていく。その頭上をターコイズブルーの小さなドラゴンが軽快に宙を滑っていった。
 幻獣管理局の本部は、小大陸フェアリテイル市郊外にある。森に囲まれた小高い丘に建ち、見た目は古びた城郭だが、内部は今風に改装されている。それでも数百年を経た古城はヒルデガルドにとっては何もかもが大きすぎた。もともと幻都を護る要塞として作られた建物だ。子供が住むことなんか考えていなかったのだろう。外を覗こうにも窓枠が高すぎて、見えるのは古城を囲む緑の木々と空ばかりだった。ドラゴン、オルヒディーエが鼻先と小さな前足で錠を外し、両開きの窓を外に押し開けた。開け放たれた窓枠に着地したオルヒディーエの方に視覚を切り替える。そうしながらも、少女は何とか自分の肩の高さほどもある窓枠によじ登って、上半身を乗り出した。
 三方を建物に囲まれた中庭は、今の時間は日陰になっている。広い庭を見渡し、その一角に目指す人物の姿を認めた。
 少女とドラゴンは一瞬視線を見交わした。ヒルデはすぐに廊下に飛び降りる。その頭の上にオルヒディーエが着地。視界を平均域に調整して、少女は、息をつき、再び走り出す。人形のようにも見える生真面目な白い顔に赤みが差し、口元に柔らかい笑みが浮かんだ。
 予想通りだ。もう何度目の脱走だろう。彼が行きそうな所は大体想像がつく。部屋の中でじっとしているのが我慢できないらしく、ちょっと油断しているとすぐにいなくなってしまう。怪我が治ったばかりなのだから、ゆっくりと休んでいて欲しいと思う。でも、彼にそんな気はないようだ。
 大きな音で軋む重い扉を開けると、しっとりと湿った空気が体にまとわりついてきた。木々や草花から蒸散される水蒸気は、爽やかな緑の香りをたっぷりと含んで、朝の風に乗る。
 幅の広い石の階段を一段一段慎重に降り、ヒルデは花々の咲き乱れる花壇の間を抜けてさっき見つけた人影を探して歩いた。程なく、彼の姿は大きな木の下で見つかった。
 しょうがない人だ。たくさんの人に心配されているのを知ってか知らずか、彼は、大木に体を預けて呑気に眠っていた。真っ白な髪の毛は、伸ばし放題で寝癖もついたまま。シャツの上から薄いパーカーを羽織っただけで、着替えてはいないだろう。彫刻のような美少年…とまではいかないが、それなりの容姿だとは思う。でも、身の回りのことについては驚くほど頓着しない。
 小さくため息を吐き出し、ヒルデは足音を忍ばせてゆっくりと少年の元に近づいた。オルヒディーエもヒルデの頭の上にしがみついてじっと息を潜めている。
 何気なく声をかけようとして、ヒルデは不意に奪い取られたように言葉を失った。口を開きかけたまま、少女はその場にじっと立ち尽くしていた。胸がトクンと音を立てた。訳も分からず狼狽している自分がいる。
 なぜ、突然そんなことを思ったのか分からない。
 触れたら壊れてしまいそうな気がした。クリスティアで見た雪のように、日の光の中に溶けて消えていくような気がした。恐くて泣き出してしまいそうだった。
「用があるなら声をかけたらどうだ?」
 目を閉じたままで彼は言った。不意にヒルデは我に返った。慌てて、ぎゅっと唇を結んで動揺を押し隠す。
「死んでるとでも思ったか?」
 ヒサキは意地の悪い笑みを浮かべて、少女を見上げた。
 子供らしくない鋭い眼光に睨まれて、ヒルデはわずかにたじろいだ。儚げにすら見えた姿が濃い灰色の瞳によって急に存在感を増す。
「そんなことは…」
「まぁいいや。で、何の用?」
「お部屋におもどりくださ…」
「やだ」
 即答。ヒルデの言葉は全部終わっていない。
 ヒルデは、遮られた言葉のやり場に困って、ただ目をぱちくりさせるしかなかった。その表情を楽しそうに見上げて、ヒサキは言葉を続ける。
「だって、退屈なんだもん」
「それは分かりますが、静養が必要だと…」
「毎日毎日、同じ景色で顔を合わす奴も同じでさ。オレ、退屈で過労死する」
 彼にヒルデの言葉を聞く気は全くないようだ。まだ更にブツブツ言っていたが、ヒルデはいつも通りに聞き流した。この人は、世界が自分中心に回っていて、その上自分がその中で一番正しいと思っている節がある。ヒルデや他人の親身の心配も、彼にとっては、余計なお世話以外の何物でもない…らしい。どうしようもなく自分勝手で迷惑な人間なのだが、何故か憎む気にはなれない。どこか遠くへ行ってしまわないように、つなぎ止めておかなければならないと思う。
「お前はいいよな、ヒルデ。オルヒディーエと一緒にどこへでも飛んでいける。オレも羽が欲しい」
「ご希望なら、どこへでもお連れします」
「じゃ、ここから逃げ出そう。中大陸へ帰ろう」
「今はダメです」
「ほら。オレの羽ならそんなこと言わない」
 少年はこれ見よがしに大げさなため息をついて、拗ねたように膝を抱えた。
 ため息をつきたいのはこっちの方だ。幼い子供のように駄々をこねる主人を前に、ヒルデは、なだめる気も失せて、ただあきれ果てて突っ立っていた。確実に、彼の方が年上なのに、そんな風に振る舞おうという気は毛頭もないようだ。
「オレは、結局何もできなかった。守ってやるって言ったのに」
 ぽつんとヒサキが呟いた。
 突然放り投げられた弱音に、ヒルデは何も返すことができなかった。戸惑うヒルデを無視して、ヒサキは言葉を続けた。
「こんなところでじっとしていられないんだよ」
「ソフィアを追うつもりなのですか?」
「そうだよ。助けてやらなきゃ」
「ですが、殺されるところだったんですよ?それに、契約は正式に成立しています。もう、手を出さないようにと、ロゴス様もおっしゃっていたじゃないですか」
「でも、イオスのやり方は許せない」
 揃えた膝に顎を乗せて、少年はじっとどこかを見つめていた。射抜くような強い視線の先を追っても、そこには何もない。同じ方向を見ていても、彼の目に映っているものは、きっと自分とは全然違う。同じものを見て、同じものを聞いて、同じものを感じたいと思う。でも、どんなに近くにいても、彼の心には入り込む隙間もない。
 ぎ…と胸が締め付けられていくような感じがした。病気の時とは違う息苦しさ。体ではなく、心が悲鳴を上げている。
 死ぬような酷い目に遭わされても、まだこの人は、彼女の方を見ている。
 もう決して手が届くことはないのに。
「ヒサキ様。今度、ソフィアがあなたを傷つけるような事をしたら、私が彼女を殺します。ダメだとおっしゃっても、やりますから」
「ムリだよ。お前じゃ、あいつには勝てない」
 そう言って、ヒサキは笑った。
「私は、死んだって構いません。本来なら失われていた命なのですから」
 躍起になって、ヒルデは言い返した。口惜しくて淋しくて泣いてしまいそうだった。どうしてこんなに切ないのか分からない。激しい感情は、押さえようとしても心のずっと奥の方からあふれ出してくる。ただ、涙にならないように耐えるのに精一杯だった。
 思い詰めたような真剣なヒルデの表情を見上げて、ヒサキはちょっと困った顔をした。
「もうやめよう。こんな物騒な話。それよりさ、どっか行こう。町に下りるくらいならいいだろ?」
「ですが…」
「お前がついてくればいいじゃん。監視役でさ。ね?」
 ヒルデは、しかめっ面のままでため息をついた。人の気も知らないで、よくも勝手なことばかり言えるものだ。ダメだと言ったところで、この人は手を尽くして逃げ出すに違いない。だとしたら、目を離さない方がいい。ずっとそばにいたい。
「まずはちゃんと着替えて下さい。それからです」
 ヒルデの言葉が終わらないうちに、少年は満面の笑みを浮かべて立ち上がっていた。

 まだ時間が早いせいか、街に人通りは少なく、覚醒しきっていないどこか気抜けた空気が漂っていた。晴天の青空から降り注ぐ陽光は、まどろみにたゆたう朝の街を鮮やかに照らし出す。フェアリテイルの街は、ゆったりと伸びをして、目覚めのひとときを味わっているようだった。
 この位置からは、幻獣管理局の古城は森に遮られて見ることができない。ただ、こんもりとした緑の塊が見えるだけだ。大昔は、ここ、フェアリテイル市が世界の中心だったという。だが今はそんなにぎわいは微塵もない。ただ、崩れかけた大きな石の遺跡だけが、遥か昔の栄華を偲ばせていた。空を飛んでいると、街の中だけでなく、周囲に広がる畑地や牧草地にも、点々とかつての街のあとが残っているのを見ることができる。緑の中に突如現れる巨大な建造物の廃墟は、あまり好ましく思えない。何だか、大地から抜け出して化け物に変身しそうな気がする。街中の黒ずんだ石壁もしかりだ。今にも、襲いかかってきそう。そこを通らなければならないときは、いつもうつむいて足を早める。
「ヒルデ…!ヒルデガルド!!」
 名前を呼ばれて、少女ははっと顔を上げた。
 一瞬、1人ぼっちで闇の世界に紛れ込んでしまったように思えた。ぞくりと背中が寒くなる。闇ではない。ただ日の光が壁に遮られているだけだ。それは分かっているのに、そのほんのわずかな光量の差が、思いがけない恐怖をもたらした。冷たい石壁を伝った風が、編んでもらった髪を舞い上げた。
 ヒルデは、その場に立ち竦んだ。動けない。
 我に返ると、真後ろを歩いていたつもりのヒサキの姿はずっと先にあった。
 慌てて、ヒルデは少年を追って駆け出した。彼の足が特別速いわけではない。夢想にふけっているうちに、遅れてしまったのだ。
「走らなくていい。ゆっくりおいで」
「はい…」
 ヒサキは、パーカーのポケットに手を突っ込んで、その場に立ち止まって待っていた。もどかしいが、言われた通りに、走るのをやめる。
「申し訳ありません」
「てか、気付かなかったオレも悪いから」
 そう言って、ヒサキはひょいと片手を差し出した。意味が分からずに、ヒルデはその手と彼の顔を交互に見やった。
「やっぱり、子どもみたいでイヤ?」
 戸惑っていると、ヒサキは心配そうな顔つきで首をかしげた。
 ああ。そういうことか……。
「いいえ…」
 少女は、そうっと差し出された手を握った。ほんの少し汗ばんで、ひんやりと冷たい感触があった。ヒルデが見上げると、ヒサキは楽しそうに笑った。
「しっかり付いて来ないと、監視の意味無いよ」
「監視されるのはお嫌なのでは?」
「……たまには悪くないさ」
 本音はどうだか分からないが、ヒサキはそう言って笑った。
 油断してはならない。その気になれば、ヒルデなんか簡単に撒いて逃げてしまうのだ。この笑顔は余裕の現れと言ったところか。ヒルデは、ぎゅっと表情を引き締めた。繋いだ手にも力が込もる。そこに、声が降ってくる。
「あんまり走ったりしちゃダメだよ、ヒルデ。体、弱いんだから」
「そんなことありません」
 その諭すような言葉が何だか口惜しくて、ヒルデは躍起になって答えた。ヒサキは意外そうに、片眉をはね上げた。思わず大きな声を出してしまったことに気が付いて、悔やんだがもう遅い。恥ずかしさに俯くことしかできなかった。
 忘れたわけではない。
 この身体は、竜の力なくしては、ベッドから離れることすら出来ないのだ。目前に「死」しか見えなかった自分を生かし、外に出て歩くことを可能にしているのは、オルヒディーエだ。
「よく言うよ。こないだ、熱出して寝込んだばっかりじゃん」
「そうですが……、ヒサキ様だって、死にかけてたじゃないですか」
「オレはいいんだよ。別に。そう言う仕事なんだから」
「良くないです。見ている身にもなって下さい」
「そんなこと言ったってなぁ……」
 ヒサキは、困ったように空いた手で頭をかいた。
 それ以上、何を言っていいか分からなくなった。ヒルデは口を結んで黙り込むしかなかった。
 日が高く昇るに連れて、人通りは、若干増え始めたが、まだそんなに多くない。通り沿いの店も、ちらほらとシャッターが開き始めた。
 ヒサキに手を引かれるままについてきただけで、ヒルデはこの辺りのことは全く分からない。街に降りても、決まった道を歩くだけで、目的地以外の場所にあえて行こうとは思ったこともなかった。
「ね、ヒルデ、何か欲しいものない?」
「いえ……特には……」
 いきなり、何を言い出すのだろう。
 大抵の日用品は、足りている。特別欲しいと思うものは、本当に無かった。
「じゃあ、お人形とかは、好き?」
 ちょっと考えて、ヒサキはそんなことを尋ねた。彼なりに、気を使った結果なのだろう。うれしかったが、どう答えるべきか、迷った。
 本当のことを言うと、ヒルデは、人形の類があまり好きではなかった。長い入院生活をしているヒルデに、人形やぬいぐるみを持ってきてくれる人は多かった。最初はうれしくて、いくつも枕元に並べていたけど、だんだんと苛立ちがつのるようになった。どんなに可愛がっても、何も応えない。表情のないガラス玉の目を見ていると、得体の知れない何かが、その中に宿っているような気がした。ひとりぼっちの夜に、いくつものぬいぐるみを引き裂いた。朝がきて、黙って残骸を片付けているナースさんを、惨めな気分で毛布の隙間からのぞいたものだ。
「服とかリボンとかは、サーシャがいっぱい持ってきてくれるもんなぁ」
 開きかけの店に視線をやりながら、ヒサキがつぶやく。何もくれなくても、自分のことを考えてくれるだけで、十分だった。
「私は、本当に何もいりません。だから……」
 自分のものを……と言いかけたが、やめた。
 ヒルデがそんなことをいう間でもなく、この人は欲しいものは何でも買ってしまう。
「未払いを精算してください」
「う……」
 ヒサキは、言葉を詰まらせ、困った顔をした。
 彼が、どれだけの支払いをため込んでいるのか、ヒルデも正確なことは知らない。でも、相当のものなのだろうと思う。
「分かったよ」
 渋い顔で、ヒサキが答えた。
 やがて、彼は、一軒の店の前で立ち止まった。古書店のようだった。
「ここですか?」
「そう。おもしろい石を見つけたら、ここに持って行くといい。ロゴス爺さんなんかに渡しちゃダメだよ。あのクソジジイに渡すと碌なことがない」
 ヒルデは、ただ黙って頷く。ヒサキが、局長に対して、文句以外のことを言うのを聞いたことがない。それでも、嫌っているわけでは無いのは、何となく、分かる。だから、憎まれ口も咎める気にはならなかった。
 古書店の中は、たくさんの古い本が絶妙のバランスで積み重ねられていた。ちょっとでも触れたら、崩れてきそうな気がする。本に触れないように、慎重にヒサキの背中を追った。
「エンキ爺ちゃん、いる?」
 さびの浮いたレジの前に座っていた女性は、無言で頷いて、2人を奥へ誘った。
 

 目覚めることなど望んではいなかった。
 肉体の枷は容赦なく意識に食らいつき、苦痛となって襲いかかってくる。呼吸をするたびに、からからに乾いた空気が喉を灼く。思うようにならない体の重さと意識を浸食する痛みにただ呻くことしかできなかった。こじ開けた目に映るのは霞んだ白い世界。必死で伸ばした手も虚を掴むだけで、すがるものは何もない。
 どうしてこんな目に遭わなければならない?
 そう思うと、腹の底から沸々と怒りがこみ上げてきた。この苦しみごと自分も世界も全部消えてしまえばいい。
 不意に体が持ち上げられるような感覚があった。どうやら抱き起こされたらしい。
「ソフィア…」
 ささやくような声が聴覚をくすぐる。
 体の芯が凍り付くような気がした。
 しっかりと抱きすくめられて、抵抗することが出来ない。重たい息苦しさに押し潰されそうになりながら、ただ彼の体に身を預けるしかなかった。
「このまま永遠に目を覚まさないかと思った」
「その方が良かった」
 自分の声は、かすれて情けないくらいに弱々しい。
「なぜ、あんな真似をした?」
 ソフィアは黙った。答える気はなかった。
「本当にこのまま眠り続ける羽目になっていたかもしれないんだぞ?あの状態で、魔法力を過剰放出させれば、自分の方が危険なのは分かっていたはずだ」
 もちろん分かっていた。だが方法はそれしかなかった。マスターであるイオスには逆らえない。でも、ヒサキを死なせるのはどうしても嫌だった。ソフィアが倒れれば、イオスは何よりもソフィアの安全を確保することを優先する。もうヒサキのことには構わなくなるはずだ。なぜか、それは確信があった。だが、自分が意識を失った後、制御者をなくした魔法が消滅せずに暴走するような事になれば、あの一帯をメチャクチャにしてしまう。そっちの方が恐かった。
「そんなにあいつが大切か?ならば、今度はこの手でとどめを刺してやる」
 ぞっとするような暗い声が耳元で響いた。
 冗談じゃない。
「やめろ…!」
 自分に向けられる執着は、ほとんど狂気に近い。この強い思いに呑まれて消されてしまうような気がした。
 力任せに身をよじると、思ったよりも呆気なくイオスの腕は離れた。そのまま、重い体を引きずって、とにかく逃げた。固く冷たい感触が手に触れた。風に散らされたように目の前を遮っていた霧が晴れていく。薄暗い小さな部屋。わずかに差し込む光の中で小さな埃がキラキラと輝いている。意識がしっかりと肉体の中に収まった。ぶれていた2つの像がピタリと1つになる感じ。途端に嘘のように苦痛が消える。
 あの痛みは自分のものじゃない。
 少しよろめきながらも、ソフィアは立ち上がった。頼りないヒトの殻。腕には呪縛魔法バインド)の金属環。この小さな檻に閉じこめられるのは屈辱でしかない。
「さっきの質問、そっくり返す。なぜ、あんな真似をした?」
 イオスは黙って静かな笑みを浮かべる。衣服からのぞく皮膚の一部が、本来のしなやかさをなくし、のっぺりとした肉の塊のようになっていた。例え真魔イブルス)といえども、これだけの重傷を負えばさすがに障害が残る。この男の身体が使い物にならなくなるのも時間の問題だろう。
「私があなたを哀れむとでも?」
「お前が焼かれる姿など見たくなかった」
「バカバカしい。私なら、黒焦げにされたところで、いくらでも再生できる。でもあなたは違う。一時の感情で自らを滅ぼす気か?」
「言っただろう。お前は私のものだ」
 青い瞳の奥に冷たい狂気が光る。歪んだ支配欲に呑まれた人間の姿がそこにあった。ゾクリと背筋に怖気が走った。
 自分の意識の中にも同じものがうごめ)いているのを感じた。確かに大切で愛おしく思うのに、それ以上に、喰らってでも自分だけのものにしてしまいたい。
「ヒサキには手を出すな。あなたの手にかけるくらいなら、私が喰らってやる。血の一滴も髪の毛の一筋も渡さない」
「いいだろう。行ってこい。だが、忘れるな。お前の主は私だ」
 キンと音を立てて、手首の環が割れた。
「そっちこそ」
 小大陸へ。
 残雪の大地を眼下に白銀の巨竜が飛び立つ。


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