終
終わった……?
キアラが自分の意志を取り戻したというのか。
少女は座り込んだまま動かない。
「だ……大丈夫……?」
「やめろ!」
少女の方に駆け寄ろうとするリャオをヒサキは慌てて留めた。
ただならぬ気配が漂っていた。寒くないはずなのに、ぞくぞくと背筋が冷たくなった。
「どうしたの?」
へたくそな操り人形のように、ゆっくりと少女が立ち上がり、ぎこちない動作で剣を拾い上げた。内側からにじみ出る殺気は明らかに濃密で禍々しいものだった。
何だか分からないが、絶対に近寄ってはいけない。
そういう、何かだった。
たッ……と、少女の形をしたモノが駆けた。軽々と跳躍し、一文字を切った。
一瞬の出来事だった。
大型軍竜の頭部が落ち、残った巨大な胴体がのたうち回った。他のタッツェルブルムたちが狂ったように暴れ出した。
「ええええええ?どうなってるの?」
狼狽えたリャオが叫んだ。
「と、止めた方がいいんじゃない?」
「どうやって?オレたちも切られるぞ!」
タッツェルブルムの首をただの一撃で落とすのだ。人間なんか簡単に真っ二つにされてしまう。ヒサキとリャオは慌てて、虚空の塔内部への入り口付近へ避難した。
キアラは、こちらには見向きもしない。彼女の眼中には、軍竜の姿しか入っていないようだった。まるで、それが自分の使命だとでも言わんばかりに、次々に巨大なドラコンティーラ軍竜を切り裂いていく。目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚を呆然と眺めているしかなかった。
「あの子、ヒサキくんの友達なんだよね?」
少なくとも数分前まではそうだった。操られてはいたが、根本的なところは、キアラの動きだった。強いとはいえ、まだヒト族の範囲内の戦闘能力だった。
だが、今は、「キアラ」なのは姿だけ。中身が何か得体の知れないとんでもないモノと入れ替わってしまっている。
「これは、やばい」
「そだね……」
シンファが気付いているだろうか。とにかく助けを求めなければ。あの殺戮が軍竜だけで終わるとはとても思えなかった。もし街へ出たら、想像を絶する大惨事だ。
「ヒサキくん、あれ!」
ドアからのぞいていたリャオが、空を指さした。
見上げると、吹き立つ強風をまとった巨大な生物の影が塔上空を横切った。
「クロイツェル……?!」
「逃げて来たよー!」
血みどろの現場に陽気なクロイツェルの声が響いた。凄惨な場には不調和な明るさだった。
「キアラを止めてくれ、早く!」
「任せて」
竜は、上空から、この異常な状況を察していたようだった。急降下して、キアラと軍竜の間に滑り込む。キアラの剣は、目前に着地したクロイツェルに向かった。ギィンと嫌な音がした。刃が強い光を放ち、何かの欠片が飛び散った。ヒサキもリャオもはっと息を呑んだ。砕けたのは、クロイツェルの鱗だった。もはや、ヒト族の力ではない。
「大丈夫」
ごく冷静にクロイツェルが言った。
「恩返し、しに来たよ」
腹部に長剣を食い込ませまま、ドラゴンの前足が、壊れ物に触るように、そっと少女を抱いた。
「クロ……ちゃん……?」
キアラの唇から声が漏れた。
「私……何を………?」
そのまま、少女はぐったりと倒れ込んだ。眠ってしまったようだった。とりあえずは助かったが、催眠魔法はまだ解けていない。
「クロイツェル、催眠魔法の解き方って分かる」
ヒサキはドラゴンの腹に刺さった剣を抜いてやりながら尋ねた。長剣は抜けると同時に、金属片になってボロボロと崩れ落ちた。傷はすぐに再生が始まっている。
「ううん。知らない」
ドラゴンは、無邪気に首を振った。
「おじいちゃんなら、知ってるかもしれないね」
クロイツェルが空を仰いで、翼を振った。それに応え、クロイツェルよりも一回り大きな岩色の竜が、ゆったりと降下してきた。
その姿に、ヒサキは言葉を失った。
紛れもない、ズーディアの守護竜シィクザール。
彼が、こんなところにやってくる理由が見つからない。
「ねー、どうしたらいいの?これ」
「なんじゃ、こんなものも解けんのか」
シィクザールは、憎まれ口を叩きながらも、幼い竜が甘えてくるのがうれしくてしょうがない様子だった。ものすごく気むずかしくて、頑固な爺竜だと聞いていたから、唖然とするほかなかった。
「えへへー、本当はね、おじいちゃんが助けてくれたの」
ちょっと、恥ずかしげにクロイツェルが白状した。
「あれくらい、壊せるだろ?」
幻獣用の捕獲檻ではあったが、ドラゴンを捕まえるには不十分。ドラゴンたちに関わっていれば、それくらいのことは一目で分かる。その気になれば、途中で逃げ出せるし、本気でドラコンティーラまで行ったとしても、幻獣管理局が何とかしてくれる。
「こ、壊せるよ、壊せるけどさ……」
クロイツェルは、途中で口籠もり、不満そうに口を尖らせた。
「まったく、勝手なことをしないでくれたまえ」
岩石色の巨大な竜の背中から、のそのそとはい降りてくる者がいる。何とか、片足を地面につけたが、もう片一方の足がつく前に、彼は無様にひっくり返った。
「あ、クガ先生」
リャオが言った。
ヒサキとリャオの姿を見つけると、タケオミは、決まり悪そうに顔をしかめて立ち上がった。
「学生が夜遊びなんかしてはいけない」
「スイマセン……」
一見正論で、八つ当たりを含んだ叱責にも、リャオは、素直に頭を下げた。
シィクザールによって催眠を解かれたキアラは、安らかな眠りについたようだった。
これで、本当に一安心。始末書が、本1冊分にもなりそうな一日だったが、ま、結果オーライといったところだろう。提出しなきゃいけない上司もいないことだし。こういうときは、クビになって良かったなと思う。
「タケオミ先生をペザンテに送り届けに来たんじゃが、そこで、にっくき鳥トカゲどもに会ってのう」
呵々とシィクザールが笑う。
「うっかり、落としちゃった」
竜の背に俯せに寝そべっているのは、ズーディアの管理屋マリアだった。赤毛の猫獣人は、頬杖をついて、ヒサキたちを見下ろしていた。ふわっとあくびをして、鼻の頭をぺろり。満腹になって、のんびりと毛繕いをしている猫の風体だ。
「ちょっと待て、外交問題……」
「なに、気にすることはない。すでに、一時間前、ドラコンティーラ王国は、我が国に宣戦布告した」
ヒサキは、思わず耳を疑った。
シィクザールは、平然と告げたが、世界規模の一大事ではないか。
「は?」
「戦争よ」
楽しそうに、猫が笑った。
長い尻尾が、ふるふると踊っていた。
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